矢野安重
令和4年8月

本年7月に土肥先生の後を継いで理研OB会会長を拝命いたしました。朝永先生を初代として第8代だそうです。理研にはもう40余年お世話になり退職して10年余りになりますが、OB会には飲み会参画以外に然したる貢献もしておりません。今回のご指名には、土肥先生と富田副会長の得も言われぬ魂胆があってのことと思っておりますが、理研ライフを満喫させていただいた“理研マン”としては、いっそのこと“OB会ライフ”も満喫させていただこうかなとほくそ笑んでおります。
とはいえ、屁理屈屋の性分で、僭越ながら朝永先生と私との“関係”(無理やりの共通点)について考察してみました。朝永先生は仁科先生の直弟子で、私は、分野は違いますが、仁科先生の曾孫弟子(サイクロトロン)です。もう一つありまして、私は現在、仁科記念財団の常務理事をやっていますが、朝永先生は、初代の常務理事(理事長は渋沢栄一翁の孫の敬三氏)であったということです。さらにもう一つは、“のん兵衛”です。呑むときの品の高さは、うわさからして、足元にも及びませんが。
さて、21世紀に入るころ、私は、有馬理事長と小林理事長に対峙して今は懐かしき主任会の議長を務めました。特殊法人から独立行政法人へ、そして、役所が強要してくる各種任期制センター構想をどうするか─理事会と主任会が大激論を重ねて、現在のような形態を選択しました。(してしまいました。) この主任会、どこに無理があるかといいますと、分野間で育ちが違いすぎるために話が通じない、というところです。如何にして“共存共栄”するか。この難題をやり過ごす方策として、“まあ、一緒に飲んで語るか”というわけで、金曜酒場だの熱海会だのという、理研ならではの“智慧”が自然発生的に生まれました。理研の真骨頂でしたが、さて今はどうなのでしょう。
ところで、写真は、旧理化学研究所37号館にあった仁科先生愛用の机を前に座っているところです。この部屋、間もなく解体されます。ということで、2018年からこの部屋の和光への大移転計画が展開されました。この部屋をどうにかせよという命を有馬先生から受け、考えあぐねた私は、きっと一言で私の計画を飲み込んでくれるだろうと想った当時の齋藤和光事業所長に相談しました。忘れもしない2018年1月の大雪の日、齋藤さん、古屋さんが、事務のほとんどの部長を連れて駒込にきてくれて、皆で一杯やりながら「和光に移転しよう」と号令をかけてくれました。しめた一安心。あとは船田さん富田さんたちにおませして、今年の10月28日には、RIBF棟1階に完成する「仁科記念室」のお披露目会が挙行されることに相成りました。久しぶりに“理研マン”流を味わいました。
この大作戦でたまたま発生した“事件”の顛末を書き留めた「『仁科記念室』から74年ぶりに発見された『広島の原子爆弾投下』の物証」という 拙稿 が日本アイソトープ協会のIsotope News 2022年6月号に掲載されていますので、ご笑覧いただけると幸いです。
OLD BABYの皆様と「栄光の理研」に乾杯できる日を楽しみにしております。